8月17日(日)に
今年度の「こどもの育ちを考える学習会」第2回目として
映画「みんなの学校」上映会と、その後に続けて
木村泰子先生の講演会『「ふつうの子」なんてどこにもいない~いつもいっしょが当たり前~』を開催し、
150名近くにご参加いただきました。
製作されてから20年近くになるドキュメンタリー映画ですが、
教職員や地域の人々の
こどもたちに対する姿勢や取り組みからは
時を経ても普遍的で色褪せない本質を感じ取ることができました。
木村泰子氏は、
この映画の舞台である大阪市立大空小学校の
初代の校長先生です。
映画の中で登場した生徒さんたちの
その後の歩みや現在についてもお話してくださいました。
その後のこどもたちのエピソードから、「一度本当に身についた力は、生きて更
大空小学校で培われる4つの力とは
「人を大切にする力」
「自分の考えを持つ力」
「自分を表現する力」
「チャレンジする力」
木村氏は、これらの力をつけるために国語や算数がある、とおっしゃっていました。
【以下、大空小のこどもたちの、その後のお話を少し紹介させていただきます】
中学から施設で暮らし、高校は大阪で学び直しの西成高校というところへ合格したKaさん。
高校の授業が終わった後に大空小に来て、ボランティアをして施設に帰る、という生活を3年間続けた。それも無遅刻無欠席で。
「大空の人がいてへんかったら今の自分はないな。」「大空の地域に家を建てて、今度は自分が困った子どもたちのそばにおらなあかん」と言っている。学校の先生にもなりたい、と。
やっぱりこどもは大人の背中を見て大人になる、やってもらったことはやって返す。大人が自分を大事に生きているか、何でも人のせいにしたり悪口を言ったり文句ばっかり言ったりしているのか、こどもは見ている。
緘黙症で木村氏の体育の授業で1ミリも動かなくて、木村氏がやり直しをする羽目になったKoさん。
(後に、彼は1時間ずっと緊張し続けていたんだ、と気づく。)
そんな彼が、Kaさんと二人でカラオケに行き、Kaさんの前でだけは歌う、と聞いて驚いた(これがKaさんの魅力なんやな)。
このKoさん、コロナ禍に手紙を送ってきた。「僕の夢は大空の職員室を作ることです。大空の職員室は誰も一人にしない場所だからです」と。
現在は『みんなの学校』の上映会を開催して、木村氏を呼んで「自分で考えて」と喋らせ(指示はスマホ)、NPOを巻き込んで社会を作っているとか。
「絶対に暴力は振るわない」と誓ったMさん。
殴らない自分になるために、と、職員室で一ケ月過ごした時期があった。そのうち、もう学校にくるのを辞めようかと言い出した。そうしたら「友達を殴らない」という約束が守れる、と。それを周りの子に言いに行ったら、周りの子がみんなでMさんを教室に連れ戻して言った。「お前は絶対殴る。殴ったらやり直しをすればいい。殴られたくなかったら、お前のそばに行かん。」
それ以来Mさんは、一切殴らなくなった。
Mさんが職員室で過ごしている間、たくさんの地域の人や友達のお母ちゃん、お父ちゃんが、ずっと声をかけてくれていた。「お前はいい子やで。お前のやってる行動を変えたらいいんでやで。」と、みんなが言ってくれた。その時にかけてもらった言葉のおかげで「なんか俺やれるかもしれん」とずっと思ってた、と後にMさんは母に言ったそう。先生と違って、地域の人からは、距離を置いて斜めの関係で声をかけてもらえることがありがたい。
このMさんを殴ったTさん。
Tさんにとっては、殴ったのは6年間でたった一回、初めてで最後。それが映画になるのは自分にとって不利だから反対だと言ったので、映画上映の時には、木村氏の口から「Tさんがやったのはたった一回や」と必ず言うと約束している、と。彼はその後学校に行くのを止め、死んでしまいたいと思った日が何度もあったほど苦しんだ。彼は「自分でもう1回4つの力をつけ直して自分の得意なことをやろうと思えたのは、お母さんのおかげ」と言う。
現在は、札幌コンサドーレでサッカーをしている。日刊スポーツが取材したTさんの記事で、彼は苦しかったことなどを全部開示している。「今苦しんでいる子が全国にいっぱいいる。その人たちに『諦めたらあかん』と伝えたい」とも。
《札幌コンサドーレ・中島大喜ヒストリー》☚(こちらをクリックすると記事が読めます)
4年から6年まで3年間しか大空小に居なかったSさん。
4年生の時に大きな時限爆弾を作った彼が、卒業式の時には「平和ってとても簡単ですよ。今自分がいる、自分の隣にいる人だけを自分が大切にすれば、一瞬で世界中の人たちが大切にされます。平和って簡単でしょ。」と言って中学に行った。
その後、東京大学で開催された、インクルーシヴ教育を問い直すシンポジウムへの出演オファーが木村氏にあった際に、木村氏はSさんにそこで語ってみないかと持ちかけた。引き受けた彼は、原稿なしで自分の言葉で語った。
それがこちら☟
映画に一秒も出ていないKyoさん。
実は一番暴れた子だった。他の先生も、髪の毛を抜かれたり、こぶができたり怪我をしたりして、疲弊していた。
木村氏は、「大空小に居た9年間でたった一回、この時だけ(気持ちが)折れた」とお話された。大空小にいたら本人がしんどいんちゃうかな、と。療育を受けるなどもっといい環境があるのではないか、と。でもそれは、大空小から放り出した方がいいんちゃうかな、という意味になる。
しばらくして、ベテランの女性がこそっと「でもこの子が自分の子やったら大空に置いといてほしい」と言った。その言葉によって、職員室のみんなの中で、何かあったものがすとんと落ちて、一致した。明日からKyoさんに存分に暴れさしたろ、と決めて、翌日を迎えた。
この日、木村氏が教室に入った時は、まさに今Kyoさんが机をもって暴れるぞ、という瞬間だった。その時、周りのこどもたちが自分の机をすーっと離し始め、それを見た木村氏は「あんたら案外冷たいな」とつぶやいた。そうしたら周りの子が一斉に「校長先生バカちゃうか」「言うてることとやってることがちゃうやろ」などと言って怒った。その時に木村校長はこどもたちから「この教室で今一番困っているのは誰や」と聞かれたので、「Kyoさんやろ、それくらい分かっとる」と答えた。すると、「困ってるKyoさんが机倒して筆箱飛んで僕ら怪我してみ、もっとKyoさん困るやろ、それくらい分からんか」と言われ、言葉も出なくなって、木村氏は「やり直しをします」と教室から出ていった。
その日からKyoさんは、暴れるのをやめた。周りのこどもたちが自分のことをどんなふうに支えようとしているのかを理解したのか、その言葉に安心したのか、一切暴れるのをやめた。「暴れとったんは、昔は得意やった算数が自分だけ分からんなってしんどかったんとちゃうかな」と、こどもが木村氏に教えに来てくれた。「あの日からKyoさんは『わからんやったら教えて』って周りに言うようになったから、もう校長先生安心しいや、来んでいいで」「ところでやり直しはできたんか?」って言われた、と。
他にもこどもたちのその後のエピソードをたくさんお聞きして、こどもたちの中にある力、大空小で育まれる力に感動の連続でした。
大空小学校での実際の出来事や取り組みに加えて
木村先生による熱のこもった
感動的で学びの多いお話(予定を1時間オーバー!)のおかげで、
参加された方々からも
とても有意義な時間を過ごすことができましたとの
喜びのお声をたくさん頂戴しました。
お忙しいところご来場いただいた皆さまに
あらためてお礼申し上げます。
(お話の後半のご報告は次回に続く・・・)